拙者は色恋観をば強く持りてゐる者であると思うておるにてござるが、実際に己、色恋をば致し候時、さふ申す色恋観りてなんぞが役に立りてゐるとかな?
であると思うておる事、ありんす。存念てみても、色恋と云ふそが時が逆援や相手にそれゆえ存念者も変じてくるがにて、たであるとゑは、っきりと致した色恋観をば持りてゐても、御意が色恋、出来るや何卒は、別物であると存じまする。左様な話をば、蝦夷出身が朋輩であると話してござったにてござるが、かのおなごに聞おりき所業、かのおなごが持りてゐる色恋観は、至極しんぷるにて、素朴にて、何奴にとはいえ実行にてきさふなもがでござった。やは、り、実行できぬ色恋観は、持りてゐて意味が無いとかなであるとかのおなごが話をば聞ゐてゐて思いたであろう。
かのおなごは、最初、江戸の都に出てきた時、まことに色恋をばしてよきもとか悩んじゃでおます。と云ふなりしが、かのおなごは、蝦夷とはいえ田舎が出身にて、江戸の都にて城郭が衆生であると懸想をば致すことに危惧であると抵抗がござったらしきとでござる。
しばし色恋は、しござらぬてよきやであると思りておりきさふなのだ、頃合い良く素敵な出會ゐ、あり、かのおなごは、然る殿方性であると情交をば致すことになり申した。
そが殿方も田舎より江戸の都に出てきた輩らしく、かのおなごであると似た会える観をば持りておりきようであった。今とはいえ、かのおなごは、そが殿方であると仲が良き情交、続ゐているでござる。
かのおなごをば拝見してゐるであると、素朴にてしんぷるな色恋観をば持りてゐるこであるとをばいと羨ましく思うておるにてござるが、真剣な情交を致すとなるであると、いずこまにて己が色恋観をば親方様張してよきもがゆえしょう。
お主でござったら、いずこまにて色恋観をば大事にしたいでござるであると存念ているでござるや?よしんば、祝言をば前提と致した情交をば思案するしからば、色恋観など捨ててしもうた者、よきのでござろうや。其れであるとも、大事に持りてゐてもよきのでござろうや。
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10月