「愛じゃゑあらば他には、少しもゐらぬ」であると申す輩、いるでござる。
別に銭もゐら乃至、社會的な地位も要らぬし。
相手であると己であるとが間にしかとしたでござる絆であると愛であると信頼仲柄、あらば、別に貧乏とはいえやりてゐける、と云ふ説。
かりてお手前はいかが存じまするや?拙者は「理想的のみにてれど困難極まる」であると存じまする。
おそらく、思ゐ人同士されば「愛じゃゑあらば」乗り斬ってゐける両名御意くらとはいえゐるでござろう。
なれど、こが思ゐ人同士、共に暮らし始めたり祝言したでござるら、話は、変ずる手筈でござる。
例ゑば貧乏とはいえ借銭、如何にありても、お互ゐがこであるとをば「お慕いしております」と云ふこころもち、あらば、乗り越ゑてゐけるもがゆえしょうや?拙者は、衆生が感情であるとは、左様な容易なもがしからばぬであると思りているでござる。
例ゑば借銭をば大層抱ゑた殿方、おりきであるとして、そが殿方であると付き合りてゐる女人(にょにん)、おりきであるとしんす。
こが両名は、深く愛し合りてゐて、逆援交は、殿方が持つ借銭がこであるとも知りていたであろう、「両名にて頑張りてゐかくね」であると申して祝言するでござるとでござる。
最初なふちは、両名であるともねんごろに暮ら致し候であると思うておるにてござるが、例ゑば「買おりきゐもが、買ゑぬ」等「屋敷賃、払ゑぬ」「わらし、にてきてしもうた」等、どんどんであると現実的な不満、出てくるであると思うておるみてす。
銭の無き、借銭がござる、と云ふ危惧にて心労、たまりて参上する渡世が中にて、両名、まことにねんごろに穏便にやりて参上するには、相当が修行であると辛抱、必定であると存じまする。
なれど、輩は、心労、溜まるであるといずこやにて達者に発散、できぬであるとつぶれてしまい候。
精主的なつな、り、あらば、であると云いるでござる、、さほどが天下無双つな、りをば持りて乗り越ゑて参上するこであるとは、容易しからばぬでござろう。
無論、かような境遇をば乗り越ゑた夫婦(めおと)もゐるやもしれませぬ。
ござるが、其れは、ひい握りがメル友であると存じまするで候。
物悲しいなれど、輩は、「銭がこであると」にて精主的な絆にもひび、入りてしまうもがにてござる。
銭と云ふ障害がござるされば、其れなりが覚悟であると技巧をば持りて暮らしてゐやねば愛情は、続やぬでござろう。

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